DEPPA少年の日記

某テレビ局の会社員。27歳。「小説だからこそ本当のことを書ける」という小説家の言葉を参考に、あえて匿名でブログを書いています。28歳の誕生日までのカウントダウン方式を採用。

映画「We Love Television?」を観た

変わらない欽ちゃん

萩本欽一に迫ったドキュメンタリー映画。「電波少年」でおなじみT部長こと土屋さんが手がけています。

「萩本欽一とは、自分をとことん、貫く人だ」。
観終わった最初の感想です。たとえば「運」。このワードを何度か出てくる。「世の中みんなが休んでいる間こそ仕事に打ち込む、それは神様であり運が味方してくれるから」とか。そのようなものについての考え方は、ご本人の著書の一つのまるまるテーマにもなっています。

もちろんテレビへの考え方に関しても、まったくブレていない。視聴者は番組そのものではなくて「素人が有名になるまでの物語」を観ているんだよとかね。土屋さんは『「電波少年」のヒッチハイク企画はまさにそれを活かしてます』と正直に明かしていて。素人の起用、演出の方法は欽ちゃんが礎を築いたんだなって観ながら感心しました。

欽ちゃんはテレビにおける間、アドリブ、ハプニング。つくり込みよりもリアルな反応を大事にするんですね。そういえば高田文夫先生との対談本でも言っていました。「浅間山荘事件を観て、リアルのおもしろさを思い知った」と。変わっていない。「作り込んだ舞台を引きの画で撮ってもおもしろくない」。ここに気付いて、テレビ化した舞台(コント)をおそらく最初に成功させたのが欽ちゃん。

随所で『それでは「奇跡」が起きない』と言っているところの「奇跡」とは、そういった間やアドリブ、余白をつくった上で本番ぶつけたときの衝動的な笑いのこと。この奇跡は本番のなかで起こそうとしても不可能。だから、余白をどう付けておくべきかを、「ここまでやるか」という具合に緻密につめる。人からみれば狂気を感じるかもしれません。ぼくは、黒澤明の「悪魔のように細心に、天使のように大胆に」という言葉が頭に浮かびました。

老いをさらす、カッコよさ

土屋さんは欽ちゃんと番組をつくるのだけど、そのプロセスを残しましょうといって、映画の冒頭でハンディのビデオカメラを欽ちゃんに自宅に置いて帰るんです。残り150日、みたいなテロップが出てまさにドキュメンタリーのかんじ。意外にも、欽ちゃんは最初は戸惑いを見せながらも、定期的に自分の姿をおさめてしゃべってくれる。その姿を見ると年相応、やはり70歳なんです。でもそこも、さらす。「もう一度コント番組をつくることを心からうれしい」と言って、子どものような笑顔をする。

思い出したのは上岡龍太郎の言葉。『テレビのおもしろさは「素人が芸をしているか、プロが私生活を見せるか」このどちらかです』と。まさに私生活を見せているわけです。奇しくも上岡龍太郎は「自分の老いを見せたくない」ということも理由に挙げながら、惜しまれながらもスパッと引退しました。対極的なふたりかもしれないけれど、語られているテレビ論は通じるものがあると思うんです。欽ちゃんは小林信彦と芸談を語り合う本を出しています。上岡さんとのやりとり、対談も、みてみたいなあ。

すべてをさらして挑む欽ちゃん。たとえば爆笑問題の太田さんはどう見ているのでしょうか。太田さんがよく語っていることそれは、「さんまさん、かっこよく引退しないでくれ」と。「老いてつまらなくなって、スタジオから引きずりおろされて引退するぐらいしてくれないと、あなたたちがいなくなっても、永遠にわれわれの番は回ってこない」ようなことを言っているんですね。正面きって挑んでいく欽ちゃんは美化しているわけでなく、素直にかっこいい。

番組の収録までに日がだんだん近づいてくる。つまり、日は過ぎているわけで、またさらに少しずつ年を重ねていくわけなのだけど。だんだん近づいてくると、欽ちゃんの表情がイキイキといしていって、収録が終わった当日の顔がいちばんいい顔をしているんです。ここも、いいなあって思いました。

ぼくらが呼んでいた「テレビ」とはなんだったのか

「茶の間」。欽ちゃんはこの空間をつくりあげ、アメリカでいうところのシットコムのように、その場のなかで多様なシチュエーションを練って、笑いを生み出してきました。膝を打ったのが「茶の間で座ると父さんの背が丸くなるでしょ」と。「だから日本の家庭でのやりとりは、やわらかくなるんです。欧米だと応接間になります。背もたれのあるイスにふんぞり返るから目線がどうしても上からになる」。文化論としても興味深いし、おもしろい。

欽ちゃんのなかで確固たるテレビ論があるんだけれども、たとえばいま茶の間の空間でコントをやっていまの笑いとして成立するのかって議論はあると思うんです。そもそも茶の間という言葉は「からくりテレビ」の明石家さんまさんぐらいしか、言葉としても使っていないんじゃないかな。

で、ぼくが思うのは生活様式の変化で笑えなくなったとしても、テレビ論として抽象化して、いろんなことに練り込んで応用できると思うんですね。その一方で、めまぐるしく変化するメディアの環境下のテレビにおいて、「テレビ論」というものが直球では、まったく役に立たない。もしくはそういったコンテンツが視聴者に受け入れられないときがくるかもしれない。

そのときにぼくらは「いままでテレビと呼んでいたものは何だったのか?」という問いにいきつく。『いまのバラエティがどうとかじゃなくて、みんなの頭のなかにある「テレビ」という概念が変わってしまったんだ』って。そのテレビの原点には欽ちゃんの核がある。いまでもご活躍されているけど、欽ちゃんのなかで迷いがないのは、とても気持いいこと。「これがテレビなんだ」という矜持。

土屋さんのメッセージ「We Love Television?」はテレビのつくり手の業界の方々、またご自分に向けている言葉でもあるのかなってふと思いました。いい映画でした。