映画「愛の小さな歴史」を観た
2014年公開の作品、
ご縁があって2回目の鑑賞をした。
観終わって自分のなかに残ったこと、
それは「失われたときに人は気付くものがある」ということ。
この映画には二つの家族の話が同時並行で進んでゆく。
共通するのは、不完全な家族と残された者の人生である。
家族の大切さというものは、そこにほころびが出てピースが欠けたときに、より意識される。「その状況になければわからない領域」がどうしてもある。
映画というものは贅沢な体験だ。
自分の人生に置き換えて考えたり、ツッコミを入れたり、まったくちがう発想がそこから生まれたり、思考を刺激してくれる。映画とは、自分にとって人生の追体験。
ぼくは、自分の肉親の家族になにを与えることができるのだろうと、観ながらふと考えていた。必要なおせっかいというものもあるんだろうなあ。
終わらないバラエティ番組がないように、
まとまった時間が経過すれば、その対象は必ず変化する。
人でいえば最後には死をむかえる。
子ども視点で、不遇な人生を歩む事になったことに対して、
「生まれてくるときに親を選ぶことができない」という考え方がある。
本作で芹沢兄はこう言っている。
「おれたちが生まれてきてしまった」のだと。
誤解を恐れずにいうと親も、生まれてくる子どもは選べないのである。
もちろん育児の環境によって、子どもの人格が形成されるため、なんともいえないところもある。
憎むよりも許す方が楽、
いや、憎んでいないからこそ辛いのだと。
主人公のようになにかを背負って生きなければならない人もいる。
そのなかで自分はどう生きるのか。
一ついえるのは、運命のせいにしたくない。
運命を言い訳にせず、運を味方にしたい。
そういう生き方をしていきたい。