DEPPA少年の日記

某テレビ局の会社員。27歳。「小説だからこそ本当のことを書ける」という小説家の言葉を参考に、あえて匿名でブログを書いています。28歳の誕生日までのカウントダウン方式を採用。

映画「愛の小さな歴史」を観た

2014年公開の作品、
ご縁があって2回目の鑑賞をした。


観終わって自分のなかに残ったこと、
それは「失われたときに人は気付くものがある」ということ。

この映画には二つの家族の話が同時並行で進んでゆく。
共通するのは、不完全な家族と残された者の人生である。

家族の大切さというものは、そこにほころびが出てピースが欠けたときに、より意識される。「その状況になければわからない領域」がどうしてもある。

映画というものは贅沢な体験だ。
自分の人生に置き換えて考えたり、ツッコミを入れたり、
まったくちがう発想がそこから生まれたり、思考を刺激してくれる。映画とは、自分にとって人生の追体験。

ぼくは、自分の肉親の家族になにを与えることができるのだろうと、観ながらふと考えていた。必要なおせっかいというものもあるんだろうなあ。

終わらないバラエティ番組がないように、
まとまった時間が経過すれば、その対象は必ず変化する。
人でいえば最後には死をむかえる。

子ども視点で、不遇な人生を歩む事になったことに対して、
「生まれてくるときに親を選ぶことができない」という考え方がある。

本作で芹沢兄はこう言っている。
「おれたちが生まれてきてしまった」のだと。

誤解を恐れずにいうと親も、生まれてくる子どもは選べないのである。
もちろん育児の環境によって、子どもの人格が形成されるため、なんともいえないところもある。

憎むよりも許す方が楽、
いや、憎んでいないからこそ辛いのだと。

主人公のようになにかを背負って生きなければならない人もいる。
そのなかで自分はどう生きるのか。

一ついえるのは、運命のせいにしたくない。
運命を言い訳にせず、運を味方にしたい。

そういう生き方をしていきたい。