DEPPA少年の日記

某テレビ局の会社員。27歳。「小説だからこそ本当のことを書ける」という小説家の言葉を参考に、あえて匿名でブログを書いています。28歳の誕生日までのカウントダウン方式を採用。

「距離」でしゃべること。

上下関係は、それがあることで社会がうまく機能していると思うけれど、不思議だなと思うところもあります。

たとえば上司がはじめて新人に会ってかるく挨拶した途端、いきなり口調が変わる。たとえば年齢が下とわかると口調が変わる。こういうケースって本当にありますよね。そういう方は上下関係を重んじていて、目上の方への敬いもたいそうなものだと思います。

ぼくが感じていたこの違和感は「距離」なのではないかと考えています。では「距離」とはなにか。たとえば初対面でお会いした方と話していて、故郷が同じであることが話の流れでわかり、お互いフランクな口調になったとする。これはまさに「お互いの距離」が縮まったということです。

フランクな口調がタメ口ということなわけですが、ぼくが考える距離とは、両者において対等なものです。一方だけが距離を縮めるということに違和感を覚えてしまうんですね。たとえばぼくにとって年が下の方だとしても、初めましての状況であれば「です・ます調」場合によっては敬語も使います。

たとえば星野源さんは子供に対して「子供あつかいの口調で話せない」とエッセイで言及していました。どうやら上からの目線で話していると、子どもから見透かされてると思ってしまうんだそうです。このきもちも、とってもよくわかる。ぼくにとっては子どもであっても、距離がはじめあれば、それに応じた話し方をします。

そういう意味では、人間関係がドライであると言われることもあります。相手がこちらに対する態度も含めてぼくは距離感を判断していますが、「先輩とは」というイメージを持っている方からすると、「です・ます調」を使われると、想像以上に距離を妙に感じてしまうようです。

ここがはむずかしいなあと。なぜなら距離は主観だからです。ただ一ついえるのは、アドラー心理学でいうところの「縦の関係」はあまり考えていません。人は対等です。距離がお互い縮めば、ぼくは年上の方でもフランクに話します。もちろん最低限のマナーはありますが。

なにが正解というわけではないのですが、人と話すときの口調と距離感を一度考えてみました。


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