DEPPA少年の日記

某テレビ局の会社員。27歳。「小説だからこそ本当のことを書ける」という小説家の言葉を参考に、あえて匿名でブログを書いています。28歳の誕生日までのカウントダウン方式を採用。

漠然とした農業への想いを言葉にしてみる

感覚として「農業いいな」って思います。

「いいな」という言葉には、いろんな角度があれば意味もある。ぼくのそれは「憧れ」にかぎりなく近い。親族に農家の方がいるわけでもなく、実感するための準備をしている段階で、この想いとはいったい何なのかを明らかにするのが今。

きっかけを考える。周りを見渡すと、たとえばプロブロガーとして著名のイケダハヤトさんは「移住」という切り口で高知県に住みながら農業もされている。ワイナリーをつくる構想とかいろいろ、おもしろそうなこともあるなって思います。だけど、ほんのちょっとだけベクトルが異なる。もうすこし「生きる」そのものに迫ることなのかなと。

じつは、白州次郎の影響だと思っています。ちなみに白州次郎は、こんな方です。

戦後、吉田茂首相の右腕として辣腕をふるいます。サンフランシスコ条約締結の際、吉田茂が読み上げる原稿が英語で書かれていたことに激怒し、すべて日本語へ書き換えさせたことでも有名。明石家さんまさんも尊敬していて、彼のドキュメンタリー番組にも出演するほど。「Tシャツとジーンズがこんな似合う人が明治生まれでいたとは」って。さんまさんは男として彼に惚れていますね。

いやたしかに、かっこいい。白州次郎は、戦前イギリスのケンブリッジ大学に入学。身長が高く、英語は堪能。家がお金持ちで、当時の仕送りの金額もいまでは考えられないほどで、白州二郎はイギリスで高級車を乗り回していたとか。


その白州次郎は、戦争中、東京町田に別荘をかまえます。参戦当初から日本の敗戦を見抜き、そこでずーっと、農業に従事します。ここで思うのは、懐古的な意味で農業を始めたのではなく、自分たちの暮らしを自らつくっていくという意思を、ぼくは感じています。田舎暮らしという記号的な生活ではなく、そこに「生きる」という根源のようなものがある気がするんです。

自給自足で生活すること。生きている中でつくづく、社会に生かされているなあと感じます。働いてから、より一層思い知らされます。社会に還元しなければならないし、そうしたい。その一方で、貨幣経済に依存しない人生の楽しみ方も知っておきたいなって思います。自分の暮らしをつくること。基本となる衣食住を考えると、農業はやっぱり切っても切れない存在です。

「じゃあいつするのか」。机の上で言っているだけで、実感はありません。まずは知ることにトライしてみたいと思っていて「シェア畑」というサービスの利用を検討しています。「シェア畑」は、畑の一区画の所有権を購入し、プロの農家の方にサポートいただきながら、作物を育てるというサービスです。東京にいながらまず体感するにはもってこい。もう一つ、実際の農家の方へインタビューする機会をつくろうと考えています。高知県、いこうかなあ。

あと最近、ナリワイという言葉を知りました。伊藤洋志さんという方が提唱した一つの生き方の提示です。「ナリワイをつくる」という本をまさにいま読み進めているところ。いま考えているホットなテーマの一つです。仕事と趣味が合わさったようなコトを、なにもないところからつくり出し、それらをナリワイとして生きていこうとするスタイル。

たとえば起業に関して一石投じています。「会社をやめて、自己資本金300万円で一か八か勝負すること」、これだけが正解ではないだろう。もっとミニマムからはじめて、人の役に立てて、自分のためになることもあるだろうと。それがナリワイだと。

ぼくは農業にもあると思っています。兼業農家って言葉がありますが、二足のわらじで農業をするということではなくて、帰属するコミュニティのような意味合いで、農業とつながっていたいというか。ナリワイの本を読んで、もうすこし言語化していければと考えています。


引き続き、よろしくどうぞ!