DEPPA少年の日記

某テレビ局の会社員。27歳。「小説だからこそ本当のことを書ける」という小説家の言葉を参考に、あえて匿名でブログを書いています。28歳の誕生日までのカウントダウン方式を採用。

同じ服を買う人間の心理、こうなっています。

1年365日、普段着で過ごしています。

4~10月にかけてはほとんどがポロシャツ。今年の夏はとくに暑かったのでTシャツにシフトしました。いまやTシャツが「ユニフォーム」となっています。会社の規定もどうやらなく、ありがたいです、過ごしやすい。

振り返ってみますとぼくは、高校時代からラコステとフレッドペリーの服しか着ていません。少なくともトップスについては、間違いない。結果として、こだわりのようになってしまったけれど、きっかけは、ふとしたことでした。

 

高校に入学して制服生活がはじまった。

友だちもできて少し慣れた頃の5月、初めての遠足。行き先は富士急ハイランド。

その日は制服を着る必要もなくこれといったドレスコードもなかった。要するに、「私服を着てきていいよ」ということ。

そんなに悩むことはなかった。なぜなら私服はそれなりに持っていたから。ただし、いま思えば問題があった。当時ぼくの服装の価値観は、B系ファッションに毒されていたのである。


B系というのは、かんたんにいうと、ラッパーが着るような格好ととらえてもらえればOK。
服のサイズはちょっと大きめで、ダボついているようなイメージ。

中学時代、野球のクラブチームに入っていたぼくにとって、チームのメンバー、ましては先輩がこぞって着ていたB系ファッション、それはオシャレであった。

いや、たしかにB系のファッションってロゴをはじめ細部にこだわりがあって、ヤンチャな中学生からしたらかっこいいと思う。正直いうと、どこどこのB系のブランドを着ていると渋谷でからまれるとか、本当にそういうのは当時あった。いまは、わかりません。

みんなと同じようにB系のファッションを楽しんでいたので、ちょっとはストックがあった。高校に入学して初めての遠足。変わったのは自分のヘアスタイルが、坊主からフツーになったことくらい。「なるべく抑えめの格好で行こう」そう思って家を出たのをなんとなく記憶している。
 

クラス単位のバス移動が終わり、全員が降りたときにはじめてぼくは衝撃を受けた。
だって、みんなの服装がピッチリしているのである。(そりゃそうだ。)


ダボついた自分の服装。B系の白パーカーとゆるめのジーンズ。とくに誰かから何を言われたわけではなかった。
しかし、みるみるうちに、自分の服装が浮わついていて、「ダサく」見えてくるのだ。

「やばい!これは持っている服装含めてオールチェンジしなければ!」そう思いながら、ジェットコースターに乗って、風に吹かれるダボついた服。

 

「バタバタバタ!」

あの音を、今でも忘れることはない。



これが服装の価値観が180度ガラッと変わった体験です。ぼくはこの経験を「富士急ショック」と命名しています。

 

それからというものの、ぼくの服装の選択基準は、10年後の自分が今の格好をみて「ダサい」と思わないかどうか。「年を重ねてもずっと着ている服を買おう」、そう決心してパソコンをカタカタ。

そこでたどり着いたのがラコステであり、フレッドペリーだったのでした。以降、今まで継ぎ足しで服を買ってきました。


気に入ると一度に同じデザインのものを複数枚買うようになっています。
「いい!」と思ったものは、同じものが何枚あってもよいじゃないかという発想です。おそらく、この心理の根底には富士急ショックがあるのだと思っています。


ただ、客観的に合理的なのだとも思っています。
場合によっては「あなた、またその服着てるの?」と言われることもありますが、そういうスタイルの人であると定着してしまえば、誰に何も言われることはないですし、そもそも気にすることはありません。

当時を振り返ると、若い時分は、ものの価値観が極めて相対的なのですね。半径10メートルくらいの範囲が自分の世界と認識してしまう。そこにいるみんなが賛同していると、自分もそれがよいと思ってしまう。自分なりの価値観を絶対評価的なものとして持つには、富士急ショックのようなそれなりのきっかけや体験が必要なのだなあと。

最近、著名な経営者の方の影響や(選択する時間をミニマムにするとか)、フランス流なのでしょうか。「お気に入りの服を何枚も持って生活しよう」という本が売られているのをちょくちょく見かけます。勝手ながらやっと時代が追いついてきたなあと感じることもあります。といっても、自分は2006年を起点としてそういうスタイルになっているわけですが。

今回、自分の服装について考えていることを言葉にしてみました。

 

 

引き続き、よろしくどうぞ!