DEPPA少年の日記

某テレビ局の会社員。27歳。「小説だからこそ本当のことを書ける」という小説家の言葉を参考に、あえて匿名でブログを書いています。28歳の誕生日までのカウントダウン方式を採用。

1回それを考えたことがあるかどうか

この世の中、生きているといろんな場面に遭遇しますね。

(先日あるイベントで、ここ数年で一番、多様な種類の汗をかきました。)

 

ただし基本としては社会に出てから会社で一定の生活を送っていると、日々の刺激は弱くなってくるもの。

 

そこで「よし!なにか新しいことに挑戦しよう!」

 

たとえば自分で手を挙げて会社の研修に参加をしてみます。

 

そうしますと大抵の場合、お題やら課題がなにかしら「どーん」と登場します。

 

お題は本業を問わず、頭の体操であったり、発想の練習程度であったりさまざま。

 

その課題をひとりもしくはグループのようなかたちで取り組むわけです。

 

たとえば「2020年の東京オリンピックの開会式をプロデュースする」

 

こんなようなお題が出ましたと。

 

当然、ゼロからイチを構築していくわけですが、まったく同じことを、仕事問わず、一度考えたことがあったとします。

 

「あっ、まったく同じことを最近、考えたことあるわ!」

 

アウトプットまでのプロセスを一度経ているわけですから、思考が整理されていて、いろんな発想も生まれてくる。

 

一度、それに考えたことがあると、

二度目は前回以上に考えをより深くすることができる。

 

ぼくは、そう思っています。

 

一度きっちり考えれば、それは自分にとって大事な引き出しになる。ときには雑談で話していた内容も、大事な引き出しの一つになることもあります。

 

ただし同時に、一度考えたことがあるからこそ、気をつけたいなと思うこともあって。

 

それは「1回考えたゆえに、前回の着地点にこだわってしまうおそれがあること」です。

 

たとえばオリンピックの話でいえば、

2回目で考えるお題が、オリンピックのプロデュースにおけるデザイン寄りの角度だとします。

 

舞台照明であるとか、新技術であるとか、ライゾマさんであるとか、真鍋さんであるとか。

 

で、もし、1回目で考えたことが「デザイン」ではなく「人」にフォーカスしていて、「誰をプロデューサーとしてたてるか」が発想の起点となっているとすると。

 

秋元康さんであるとか、小山薫堂さんであるとか、「人」を起点とした発想から逃げられなくなってしまうんです。

 

あくまで例ですし、「人」から始まってもお題に合うこともあると思います。

 

ですが、考えたクセが、まるでしぶとい寝ぐせのようにピンとはねた状態のままだと、そのときに考えるべきことの障害にさえなりうるんですね。

 

ピントのずれたことを言ってしまったり、他人の考えを自分の角度でとらえようとしてしまったり。場合によっては、むりくり自分に引き寄せようとしたり。

 

経験を重ねてくると「ああ、これはこうするべきだ」となりがち。

 

そう決め込んで、結果として凝り固まった思考にならないようにしたいなあ。

 

自分の財産である引き出しと、考えの寝ぐせは分けておきたいところ。

 

そのときのシチュエーションに合わせて

適材適所の素材を使って料理をするようなイメージ。

 

「これは、ちがうなあ」と思ったら自分の持ってる素材を捨てられるかどうか。

 

こういうことをまず1回、考えてみました。

 

 

引き続きよろしくどうぞ!