DEPPA少年の日記

某テレビ局の会社員。27歳。「小説だからこそ本当のことを書ける」という小説家の言葉を参考に、あえて匿名でブログを書いています。28歳の誕生日までのカウントダウン方式を採用。

プロブロガーと糸井重里からみる「変態性」

なにかをはじめること。

かならず対としてセットで出てくる課題、それは継続性ではないでしょうか。

かくというわたしも、ブログをはじめてまだ間もないこの段階で、一度考えてみたいと思うのです。

 

個人の領域でずーっとコツコツと継続させることというのは、語弊を恐れずにいうと、どうやら変態性を持った人のようです。知り合いのプロのブロガーも言っていました。

 

たとえばぼくはいま、趣味の部分もありますが仕事として期間限定で毎日、会社が所有しているツイッターのアカウントからお店の料理をアップしています。毎日です。チェーン店は避けて、二度と同じ店はアップしません。一度も欠かすことなく継続しています。たんたんとこなしているわけですが、ある人は呆れています。「いやこれ、ふつう」じゃないと。

 

もともと覚悟を決めて始めたわけですが、だんだんのめり込み、習慣となってきます。たしかに継続させるってどんなことはおっくうだし、面倒な部分も当然あります。そう思うこともあるのだけど毎日アップすることが習慣となると、欠かすことがきもち悪くなってくるんですね。

 

「ここでストップするとこれまでの自分を否定してしまう」。

極端ですが、こういった心理にもなってくると思います。習慣づいて続けることが楽しくあることが大切ではあるんだけど、時には必要な感情なのかなと。(何かだまされている方で、こういう心理になってしまうことは危険ですけどね。)

 

ある方が糸井重里さんに質問をしました。
「なぜ「ほぼ日」のコラムである「今日のダーリン」を、1998年から一度も休まずに継続できるのですか?」。

ぼくはそこに居合わせたのですが、糸井さんは「土日もやっている蕎麦やさんみたいなものだよ」と。もう一つ「自分にサボリ癖があるから、習慣化させる必要があった」ともおっしゃっていました。つまり、自分で習慣の環境や仕組みをつくってしまうんです。

習慣づけが上手い方っていますよね。人が端から見れば気の遠くなるような努力をしているのだけど、当の本人にとっては習慣づけされた日常の一部であって、何なら努力という自覚さえもないこともあるわけです。

 

人から見たときの、その温度差というか感覚のちがいが「常人とは思えないよ!」だったり「変態だ!」だったりにつながるのだなと思います。自分の好きに習慣づけて生きればいい。

 

自分やまわりの人生が楽しくする、そんな習慣を持ちたいなと思っています。

 

引き続き、よろしくどうぞ!