DEPPA少年の日記

某テレビ局の会社員。27歳。「小説だからこそ本当のことを書ける」という小説家の言葉を参考に、あえて匿名でブログを書いています。28歳の誕生日までのカウントダウン方式を採用。

ちいさな独裁者

緊張のふり子がずっと揺れ続く、見事な作品!

ときは第二次世界大戦、敗戦の一ヶ月前のドイツ。脱走兵が大尉の軍服を偶然見つけ、寒さを凌ぐために身にまとう。そこへさっそく指示を求めてはぐれ者がやってきた。試しについた、ちいさな嘘。混乱した戦争末期、大尉である自分を正当化するため、嘘とハッタリが重なり、やがて“ちいさな独裁者”へと変貌する。

序盤はどうしても感情移入してしまう。成り上がりのサクセスストーリーの側面もあるからだ。人をだまし、のし上がる下克上。が、次第にエスカレートしてゆく。

いやー、もう何というか、いたたまれない気持ちになる。画面を直視するのが辛くなる。ミルグラム実験ならぬ究極の社会実験。役割と秩序が、人間の意志や思考をここまで狂わせてしまうものなのか。

観終わるとズッシリくる。余韻に溺れかけた、まじで。余談だけど、逆に1800円でこんな感情になれるなんてお得!とも思った。

なにせよ主役のマックス・フバッヒャーが絶品。大尉になりすましてまさに豹変する、あの見事な氷のような表情。戦争を題材にした名作はキャラクターが立っているが、本作も主役から脇役まで個性があふれている。とんでもないことをするんだけど、どこか「あいつらいま何やってるか」感が芽生える。

圧巻はエンドロール。ドイツ生まれのロベルト・シュヴェンケ監督の並々ならぬ思い入れ。しっぽまで餡子をぎゅうぎゅうつめてくる。内容は非常にアイロニカルでいて、それをシレッとやる。

ゆえにちいさな独裁者の現象はは、現在と地続きであると、こちらは受け止めざるを得ない。監督のメッセージから察するに、ちいさな独裁者側の「彼ら」は「わたし」たちの中にいる!

オススメです!

201日(グルメとは何かを考える)

先日のことだ。仕事先の方と蕎麦屋でごはんを一緒しながらの打ち合わせ。「この枝豆、ワサビが効いていておいしいですね!」

サイドメニューの枝豆のアレンジに感心して感想を述べたところ、同席していた方たちは気付かなかったようで「言われてみればたしかにそう!」な状態。なぜか「グルメですねー!」という流れになった。そして仕事の話に戻る。

すると今度は鉄板で焼いた、甘くないおやきのような料理が出た(料理名を忘れた)。コクがあってこちらもおいしい。そしてアクセントで酸味といい香りがする。

調子に乗ってしまったのかもしれない。「この料理って梅が効いてますよね?」「おお!たしかに言われてみれば、さすが!」ということで店員さんをお呼びして聞いてみると、梅はまったく使っていなかった。席は笑いに包まれた、お恥ずかしい!

 

本日、久しぶりに実家に帰って家族囲って食事をとった。お土産に佐賀の日本酒「宮の松」を。せっかくなので日本酒に合う料理を食べようということになった。

厚揚げに挽き割りの納豆と長ネギを添えたもの。キュウリと鰻をタレと山椒でいただく小鉢的なもの。そして魚料理と肉料理。けっして豪勢な何ちゃらというわけではないが、たいへんおいしくいただいた。

ふと思ったのだけど、食事をしていてどんな会話をしていたか。ほとんどが食材やその料理、お酒についての話題だった。別に話題がないから食の話を延々としているわけではない、とは思うが、、、。

ドラマや映画にあるアメリカの家族の晩餐のように、ひとりひとりが近況をプレゼンすることはまずない。考えてみれば、そのあたりが極めてドライ。とにかくおいしい食事を楽しくとる。それだけといえば、それだけ。周りから見たら不思議にうつるかもしれない。ただ、ぼくにとっては結果として居心地が良いことにつながるのかもしれない。年々、話が合うかんじがする。

グルメとは、ぼくのなかのイメージとして外食をとにかく重ねていて、お店のマスターなんかとツーカーの関係にある人のこと。「日本酒に合う豚料理なら麻布十番のすぎ乃」みたいに細かく記憶して記録している。とんねるずのタカさんのような人物を言うと思っていた。

調べてみると元々は、フランスのワインの鑑定家に与えられた名称らしい。いくつか説はあるようなのだけど、こんな主張をしている方がいた。

食通=食通(しょくつう)とは料理の味や知識について詳しい人物のことである。

グルメ=(仏:Gourmet)人並みはずれて美食を追求する人物を示す美食家(びしょくか)とほぼ同義で用いられることが多い。美食家=ぜいたくでうまいものばかりを好んで食べる人。グルメ。

なるほど、この定義であれば、食べることが好きで、料理の味も大切にしていれば食通になれるかもしれない。いや、おそらく食通はグルメのその先にある称号なような気がしてきた。

あらためて考えると、ごはんを食べているときに、知識をひけらかすとかじゃなくて、料理の話をするのが好きかどうかは、良し悪しは置いておいて、一つの価値観だなあ。

称号はどうでもよいので、今のスタンスを貫くきたい。料理の素材を知り、味を楽しみ、いっかいの食事を大切にする人になろうと思う。

202日(チームで働くということ)

株式会社GOという企業がある。博報堂出身の三浦さんという方が立ち上げた。大手クライアントを担当し、カンヌライオンなどで実績を残すクリエイターが独立したんだなあ、そんな風にとらえていた。

つまり個人として仕事がくるようになると、独立志向のある方は起業する。それくらいの気持ちで代表の方のインタビュー記事が出ていたので読んでみると、チームについての考え方が参考になると感じたので記しておく。

いきなりだけど引用する。

(中略)10年、20年とクリエイションを続けていくのはかなりしんどくて、自分が生きている物語が見えなくなると、何のためにクリエイションしているのかわからない請負業者になってしまうんです。

ネットが浸透し、バイネームで仕事を取れるようになったことで、来年、再来年には“ピンクリ”(個人で独立するピンのクリエイター)、“ピンプロ” (個人で独立するピンのプロデューサー)がかなり増えると思います。

しかし、ちょっとした指名欲しさに独立すると、すぐに請負業者でしかなくなり、業界内においても人生においても迷子になってしまうでしょう。

その点、僕らは「社会に変化と挑戦を増やす」という明確な物語の下に集まっているので、自分たちが何のために仕事をしているのかが非常にクリアです。(以上引用)

この部分を読んだときにハッとした。全員がフリーランスになるような書きぶりで個の時代を謳う記事もある。そのなかでどのように振る舞うかは自分次第ということ。

記事にあるように、むやみに個として市場に身を晒したところで、自分のビジョンは二の次で請負業者のようになりかねない。であれば、物語を共有して、個を最大限に活かしたチームという組織で戦うのも大いにアリ。可能性を感じた。

組織のしがらみから抜けたところで、これから生きていくにあたって、単位は小さいにせよ、組織と関わっていくことは不可避だ。もっといえば、いい組織を能動的につくっていきたいと思う。

日々のなかで組織というものについて、引き続き考えを巡らせ、生き方・働き方を体現していきたい。

203日(株主と会社、ファンとアイドルの関係性)

会社と個人の関係性について考えるなかで、個人株主という存在に興味を持った。法人ではなくあくまで個人。b to cの領域においては、顧客つまりファンが個人株主になる場合がある。ではその個人株主の比率が多いとメリットがあるのか?

まず個人株主の比率を高くした会社の例として、カゴメが挙がる。00年の当時6000名ほどだった個人株主数は、施策の効果もあって05年には10万名を突破、いまや16万名を超えるという。

実際、カゴメは00年に10万名にするという宣言をしている。その後、株主優待の充実(モノはもちろん工場見学等のコトも提供)、また個人株主が株を買いやすいように価格や購入の単元の調整を図ったという。

主婦から口コミが広まり、個人株主は増え続け、全体の株主比率の99.5%を占めるという。すごい。なぜカゴメはここまで個人株主にこだわったのだろうか。

一般的に言われているメリットはいくつかある。まずファンの可視化とファンとの結びつきがより強固になるということ。顧客向けの目線。また場合によるが株価の上昇が見込め、結果として企業価値を高めることにつながりやすい。

そして敵対買収のリスクを軽減できるということ。持ち株企業の発言権も言ってみれば相対的に下がるため、そのへんの事情込みで個人株主比率を上げようとする企業も実際あるようだ。

ここは裏返しで考えると、社外取締役や経営者の一部については、個人株主比率が高くなることに対して、難色を示すとしても不思議ではない。優良顧客の臨界点が個人株主というロジックでていねいに説明する他ないだろう。

ぼくはカゴメの事例を調べていて、ふとアイドルとファンの関係性を考えた。ありていだけど、AKBグループはまさに企業と個人株主=経営者の視点を取り入れいるだなあと。

わかりやすいのが選抜総選挙イベント。個人株主が持つ株数に応じて、企業の経営者(1軍のメンバー)を決めるようなもの。あのイベントとは、個人株主における経営への参画なんだと。民間人と議員のいわゆる選挙よりも、こちらの方が親和性がある。

ひとグループのアイドルがどうやってスケールをしていくか。かんたんに調べると、ファン=個人株主という関係性に見立てて、株を発行してファンに購入してもらい、活動費をまかなっている地下アイドルがいるらしい。

地下アイドルのマーケティングの方向としてはわりと合理的なのではないかと思う。企業と株主の関係性、もうすこし深掘りしていこう。

204日(悔しさを冷凍保存しておきたい )

「くやしい」。一言まず、その感想が出る。プレゼンで負ける機会が最近なかった。正直そんな事情もあって、浮かれていたところもあった。

だけどその分、学びになる部分も大いにあったといえる。このくやしさを鰊(にしん)のように塩漬けにして保存しておきたいので、考えたことを備忘録として記しておく。

・審査側の想像の気持ちになること。予算込みで実施を検討する場合、施策がはじまってからの明確なイメージをどれだけ持てるかが重要。

・プレゼンの発表の外ヅラが良いというハードル。キャッチャーなワードで会場を湧かせても、うまくいかないことがある。かんたんにいうと企画のスタートダッシュが良いのに、尻つぼみしてしまうパターン。ここは相性もある。本当に勝ちにいくなら、自分のスタンスをその都度、変えていく必要性がある。

・企画をクリティカルに見る視点を養うこと。他チームのプレゼン内容について、感想をよく求められるのだが、企画のプロによる批評そしてアドバイスを、自分のイメージと合わせたい。要するに、プロの視点を自分が持っているかどうか。

・上記に似ている。いいところがどこか。また、ここは改善するともっと良くなる。こういったような部分はプロとズレがないようになってきた。プロとそれ以外を分かつ物は、「代替案」をどれだけロジカルで瞬時に考えることができるか。

非常にいい経験になった。千原ジュニアさんが後輩がすべったときに「観客の心を想像しているか」という問いを投げた。まさにその通りだと思った。

失敗とはうまくいかない方法だっただけと考えることもできる。まずは前に進もう!

205日(プレゼンの方法を言語化すると)

よし、明日はプレゼンだ。
サードプレイスとしてのコミュニティ。そこのチーム発表。資料づくりもそうだし、発表も担当する。いくつか本を読んだり、自己流で試してきたりして、何となく方法が定まってきた。いま一度、プレゼンにおける自分のやり方をここに言語化しておきたい。

大前提として、プレゼン資料はまず原稿から作成する。スライドよりも前に原稿。ここ絶対。なるべく原稿の文章は無駄を省きつつも口語調にして「そのまま発表できる」かたちを目指す。

発表は早口にならぬよう留意すべき。たとえば5分の発表時間なら1500字が限界。たっぷり時間をかけて伝えられる心の余裕を持つためにも、字数はできるだけ少なくしておく。1200〜1300字程度だと安心だ。

原稿をつくるとき、必ず構成となる骨格を組み、パート分けをする。たとえば前段、ファクト&導入、具体例、予算、スケジュール、まとめ、といったように。

そのなかで原稿を肉付けしていき、たとえば導入までで1分30秒、具体例から最後のまとめまでで3分30秒のように、時間配分のイメージをしておく。

分量の調整ができたところで、発表用のスライド資料を落とし込む。すこし慣れてくると、文書をつくりながら、スライドで強調したいところが見えてくる。

たとえば「導入」の原稿を書きながら、ここではデータとキーワードの2枚のスライドが必要になると想像できるかどうか。そうすると、スライドに落とし込むまでの時間がかなり効率化できる。

1スライドには、なるべく一つの内容だけ載せるようにする。海外のマネでいい。とにかくシンプルに。文字の級数はなるべく大きく。色づかいもセンスに自信がなければ、最低限でいい。

スライドとは、自分が口頭で伝える内容をあくまで支えるものという位置付け。ここを意識したい。

昔はスライドを先につくり、そこから原稿を肉付けしていた。そうすると、時間配分がしにくい。そして何よりスライドがちょっとずれたりするだけで、自分が何を話すべきかわからなくなる。あくまで主体を「自分の伝えるべき話」としたい。

原稿づくりとスライド作成があるとして、配分イメージとしては7:3。原稿があってのプレゼン。そして練習。「暗記する」と思わなくなるくらい練習しておく。とくに話し始めの部分。

本番をイメージしながら声もはりたい。マイク使うのかどうなのか。細かいところもケアしておく。そういえば、スライド送りを指でカチカチッとできるツール?機械?があるらしい。間に合わないけど、個人用にしたためたい。

よし、明日はやめに練習して本番に臨もう。

206日(DMMから企業とは何かを考える)

DMMが企業としておもしろい。

買収を重ね、会員はいまや2900万人、サービスの数は40にのぼる。

昨年には10個の新サービスが生まれた。そのなかには話題となったCASHなども含まれる。

見境なく拡張するDMM。News picksなどでの露出をきっかけとしていまや名物会長となっている亀山さんにしてみれば、会社のビジョンというものは存在しない。DMMは採用ページで「なんでもやってる、ディーエムエム」と謳っているほど。

事業を考えるとき、誰のために、どんな課題解決をするのか、そんな工程を教わってきた。だけどDMMの前にそんな机上の御託は通用しない。

何より舌を巻くのが、亀山さんが天性の商売好きということ。商いをすることが得意で好き。その延長でここまでやっていると言い切るところに、粋を感じる。

新サービスや新社長などのニュースを通じて感じるのは亀山さんは「人」を大事にする。人に投資するプロセスがあって、結果としてその事業に投資や買収があるようなイメージだ。

おもしろい若い奴らが集まれば、きっと会社もおもしろくなるし、そんな会社が提供するサービスはおもしろくて、その先の顧客も満足するという考え方。

面白法人カヤックもそうだった。何を提供するよりも、創業者が「おもしろい組織をつくる」という目的のもと、会社組織をつくっている。

ぼくは思うのは、企業とはいったいなんなんだろうと。ひとりの会社員として不思議に感じるのだ。ここの自分のひっかかりは大事にしよう。企業価値=バリュエーションについて考えようと思っている。

「何を持ってその会社の存在価値がある」といえるのだろうか。株式前提とした価値基準で果たしてよいのか。また、財務諸表にのってこないブランドや無形価値の「のれん」はなぜいま注目されているのか。

そもそもDMMは上場していない。亀山さんのあのかんじだと、上場せずにユニコーンの企業として仕切り役をまっとうしていた方が健全に思えてくる。DMMの企業価値は、客観的にどのようにとらえられているのか。

根本の疑問も出てきた。会社はなぜ上場するのだろう。上場する意義のない会社も多く存在する。村上ファンドの方の本を、もっかい読む必要が出てきた。いずれにせよ、DMMのことをもっと知りたい。